■ キッド設立(1968)〜「ザ・シティ」公演(1974)
1968年「東京キッドブラザース」(当初「東京キッド兄弟商会」)は、その年「天井桟敷」を 脱退した東 由多加が、メンバーに、下田逸郎[作曲]、佐藤憲吉(ペーター佐藤)[舞台美 術/俳優]、峯のぼる[照明]、梶容子[制作]、深作龍作、小林由紀子、高橋章夫<敬称略> の7名を集めて創設。 69年、小劇場「HAIR」をオープンし、大野真澄[ボーカル]、田山雅充[ドラム]<敬称略>を 加え「東京キッド」などの作品を上演。
「東京キッド」を上演中、その頃来日中のアメリカのラブ&ロックミュージカル『ヘアー』へ キッドブラザース全員出演依頼があった。結局、大野真澄、深作龍作の両氏だけがそこに 参加することになり、残りのメンバーで次回作「黄金バット」を公演する。しかし、3日で打ち 切りになる。
再度、スタッフを役者に仕立てたスタッフ版「黄金バット」が完成し、成功を収める。それを 機に『ヘアー』のプロデューサーからニューヨーク上演の話しが持ち上がる。結局、その後 問題が起きて自主公演としての興行となったニューヨークでの公演は、大成功を収める。
74年、ニューヨーク・ロンドンにて、「ザ・シティ」を公演。この作品は、それまでの海外公演用 に作 られたオリエンタルなムードから一新、現代の日本の“モーターサイクル族”を題材にした、 全編英語の現代劇であった。その為に批判にさらされ、公演は失敗に終わる。 日本に戻った時は、お金もなく、劇団員も辞めていき、残ったのは5名であった。 >> NEXT
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