渋谷APIA概観

この入り口を入って行くと 飲食スペースとなっていて、 奥の右側にドアがあり、隣がライブスペースとなっています。


渋谷APIA

 

2002年5月11日LIVE HOUSE 渋谷アピアにて「東由多加を偲ぶ会」が催されました。
主催は、創世記からキッドブラザースを支えた制作担当の方々がメンバーの「東由多加を偲ぶ会事務局」。この会は、4月20日の東さんの3回忌と「東由多加が遺した言葉」の出版記念を合わせて行なわれ、総勢100名近くのキッド関係者が集いました。主催者側のご好意で、∞ENDLESS∞KID BROS.に取材許可を頂き、 ここにご報告させて頂きます。

参加者の皆様に、このサイトをご覧になっているキッドファンの皆様宛てにひとことずつ頂いて参りました。時間の関係上、すべての参加者の方にメッセージを頂けなかったことをご了承頂き、お詫びさせて頂きます。

渋谷アピアの前身は、キッドが「東京キッド」「黄金バッド」でデビューした小劇場「ステージショップHAIR」です。創世記から現代までの30年間の歴史をまとめたビデオの上映や、創設メンバーの下田逸郎さんによるミニライブなどが行なわれました。

今回のパーティーは、KIDの同窓会的意味を兼ねるということで、 創設メンバーから最後の作品の関係者まで、役者・スタッフ・関係者一同に集まりました。このような機会は、今まで一度もなかったということです。

思えば、30年という長い歴史の中の人々が集う機会は、誰かが立ち上がらなければ作れないことですし、今回、原稿をまとめ上げた久生さんのご功績は、出版以上のものがあったといえます。これからも、このような機会があって皆さんが集まり話す場が設けられたらいいですね。

 


■18:00 START

 出席者の方々は、17:30ごろからぞくぞくと会場に集まる。役者、スタッフ、研究生などなど、最終的には総勢100名以上の方が、偲ぶ会に参加した。
 会場の渋谷APIAは、入り口から入ると飲食スペースになっている。入り口ではまず受付・記帳を行うと、『THE STORY OF EIGHT DOGS』『黄金バット』『ペルーの野球』や『冒険ブルックリンまで』の画像をプリントしたカードから好きなものをいただくことができた。裏側には、メッセージが書いてあった。

東京キッドブラザース生誕の地へ
ようこそお越しくださいました。
皆様とこうして元気に再会できることを
心から感謝したいと思います。

本日は、特別な挨拶などはありません。
KIDに参加してくださったひとりひとりが
それぞれの想いのなかで
懐かしい方々とともに東さんを偲んでください。

途中、KIDの創立者の一人である下田逸郎さんが
数曲歌ってくださる予定です。
どうぞお楽しみに。
また、KID関係の映像を30分ほどのビデオにしました。
2度ほど上映いたします。
貴重な映像もあります。こちらもお楽しみに。
では、ゆっくりとお寛ぎください。

「東由多加を偲ぶ会」スタッフ
長井八美,古郡容子,久生実子,東レイ子


 受付を終えると、飲食スペースのつきあたりにカウンターがありドリンクやおつまみがおいてあった。向かって右側にドアがあり、そこを通るとライブスペースになっている。ドアの左手に東さんのモノクロ写真が2枚、割と大き目の額に入れて飾ってあった。

 残念ながら写真を撮る余裕はなかったので、会場内の様子はなかなかうまく伝えられないが、前方にはステージ、その前には折りたたみのいすが、壁側にはベンチが並べられていた。テーブルの上には、キャンドルが添えてあり、受付を済ませ会場に入った方から、それぞれビールやウーロン茶などを手にし、懐かしい顔に出会うと「お久しぶり〜!」というような声があちこちで聞かれた。会場では、BGMに「哀しみのキッチン」などKIDのおなじみの曲が流れていた。

 会場の中には、歴代のKID作品のチラシが壁に立てかけられたパネル一面に貼られていた。床から2mくらいまでの高さくらいあるパネルが全部で4枚立てかけられ、『黄金バット』や『CONEY IRLAND PLAY』などの古いものから、海外公演のチラシ、『ピータソンの鳥』や『霧のマンハッタン』の映画作品や、『失なわれた藍の色』『哀しみのキッチン』『オリーブの枝』などの代表作はもちろん、『BUSSTOP』までのチラシや、『心は二つの海』などセカンドカンパニィのチラシなど、全公演のチラシが貼られていた。これは、本物ではなくて、カラーコピーを掲載していたので、帰り際、参加者が自由にお持ち帰りさせてもらえた。

 また、飲食スペースの入り口から入って左手には、銀色の額に入れられた『東京キッド』のポスターが掲げられ、飲食スペースのカウンターの上にも『黄金バット』『失なわれた藍の色』『ペルーの野球』『一つの同じドア』のポスターが掲げられていた。ライブスペースにあるチラシを貼ったパネルの中には、チラシに混じって、『西遊記』『SHIRO』のポスターも掲載してあった。

 会場のテーブルの上には、これまでのKID作品のパンフが置かれて、出席者は自由に閲覧できた。私が目にしたものだけでも、かなり古いものから『BUS STOP』までの東京キッドブラザースのほぼ全作品のパンフ、柴田恭兵さんのKID時代のファンクラブの会報、KID80'、コスモス80、パンとサーカス、セカンドカンパニィなどの公演のパンフもあった。

■ビデオ上映

 しばらく歓談のあと、ライブスペースのステージに掲げられていたスクリーンで、ビデオ上映が始まる。
 最初は、1970年にアメリカの人気番組「エド・サリバン・ショー」に出演した際の『GOLDEN BAT』のパフォーマンス映像。続いて、
NHK BSで放送された映画『ユートピア』からの映像で1971年『南總里見八犬伝』などの欧米公演の模様、TBS「命」の特番より1971年『帰ってきた黄金バット』の劇中シーンと東さんのインタビュー。NHKアーカイブスで放送された「ドキュメント・ユートピア」より、さくらんぼユートピア建設予定地で、1971年「新八犬伝」の劇中歌を歌い踊る若者たちの様子が流れた。続いて、1974年、NY・ラ・ママ劇場前での「THE CITY」のパフォーマンス。そして、1976年『一つの同じドア』の中の「ミュージカル!」を歌う場面、東さんが演出家の役で出てくる場面も放映され、会場のあちこちから歓声が起こり、当時を知る人の間からは、「あれ、読み上げてたんだよな〜(笑)」というツッコミ(?)も各所から聞こえた(^^;
 次に、N.Y.ラ・ママ劇場のエレン・ステュワート女史のメッセージ映像が流れた(2001年にCSで放送されたもの)。エレンさんは、当時、まだ反日感情が残っていたアメリカで、ラ・ママで日本人の公演をさせるということについていろいろなところから批判を浴びていたが、東京キッドブラザースの『黄金バット』でアメリカ人の日本人に対する偏見が少しずつ変わっていったというようなことをおっしゃっていた。『黄金バット』では、公演のあと、役者がステージを降り、客をステージに引き上げ、ともに手をつなぎ、肩を組み、踊ることにより、アメリカ人と日本人の間の関係が変わっていったというようなことをおっしゃっていた。
 そして、ラ・ママで公演された『SHIRO』の様子が映る。天草四郎を題材にしたロックミュージカル『SHIRO』は、尺八とロックを掛け合わせたエネルギッシュな音楽だったとテロップに流れた。
 続いて、1981年NHKで放送された『青春のアンデルセン』のフィナーレ「21世紀」を歌う場面が映し出される。当時まだ小さな子供だった桐嶋ローリィさん(現:桐嶋ローランドさん)の顔が映し出されると、「この頃はまだ小さかったんだよな〜」という声が客席の中から聞こえた。また、「このダンスになかなかついていけなくってさぁ(笑)」というように当時を思い出した言葉もきかれた。アンデルセンの映像はかなり役者の顔がアップで映ったりしていたので、時折会場から当時のことを思い出してか笑い声が各所から聞こえた。
 続いて、『夢の湖』(25周年記念バージョン)の「どれほど愛を」や「キッドメドレー」の様子が放映された。「これ長いんだよなぁ(笑)」というツッコミも会場の中から聞こえたりした(^^;
 続いて、1997年キッドシアターで上演された『はつ恋』のフィナーレで「人生はミュージカル」を歌う様子が放映された。
 そして最後に、『失なわれた藍の色』のプロモーションビデオの映像が放映された。「次の街へ」の曲とともに、藍の色の出演者が高原で、街中で、歩きながら「次の街へ」を歌うビデオであった。「これって、いつ撮ったの?どこだっけ?どこで撮ったんでしたっけ?覚えてねーなぁー(笑)」というような当時の出演者の方のツッコミで会場が笑いにつつまれた(^^; また、「次の街へ」のサビの部分が流れると「この歌もいい曲だよなぁ」という声が聞こえた。

■歓談

 ビデオ上映が終わり、会場で人の移動が始まる・・・(^^;
 おそらく、会場のあちらこちらで、久しぶりに会った人たちと歓談されていたと思う。
 東さんの写真の前で、飯山さんが「東さんにも飲んでもらおう」とハイネケンを置き、その場にいた研究生 が「ハイライトもないと・・・」ということでハイライトを買いに走った。写真が立てかけてあった台に、ハイネケンとハイライトが置かれた。あとで見てみると缶のふたが開いて、ハイネケンは半分くらい飲んであったらしい(^^;

■下田逸郎さんミニライブ

 ライブスペースのステージで、下田逸郎さんがミニライブをしてくださった。
 初めは、「ひとりひとり」「雪が降れば」のKIDの曲を2曲、続いて下田さんオリジナルの曲を3曲熱唱してくださった。オリジナルの曲のうち1曲は、「東由多加に捧げる曲です・・・」という「ワルツの時間」であった。そしてもう1曲は、「おそらく、歌うのはこれで最初で最後だと思うけれど、東の棺の中に入れてもらった曲です」ということであった。
 曲と曲の間、峯さんから「俺も歌うぞ〜!」という声があがり、下田さんから「おまえはあとでな!(笑)」というやり取りも。
 みなさん、下田さんの曲に静かに耳を傾け、曲ごとに大拍手が起こり、「アンコール!」の声もあがった。

■ビデオ上映

 先ほど上映されたビデオがもう1度上映される。

■歓談

 そして再び、歓談タイム。
 ある役者さんから「こんなに集まったのって、久しぶりだなぁ」と言われた。

■21:00 END

 21:00で偲ぶ会は終わる。会場の中や外でもまだ話が尽きないようであったが、そのまま2次会で新宿へ向かう人は新宿へと向かった。


 今回、会場に来てくださったKIDの役者の方からファンの皆さんへ直筆のメッセージをいただくことができました。
 残念ながら、時間もあまりなく、会場が狭くて混雑していたこともあり、すべての役者さんにお願いすることはできなかったのですが、KIDの創生期の方から最後のBUS STOPの出演者までと幅広い世代の役者さんからメッセージをいただくことができました。
 この場をお借りして、メッセージを書いてくださりWebでの公開を許可してくださった東京キッドブラザースの皆様、メッセージをいただくためにご協力いただいた皆様に心からお礼を申し上げます。本当にありがとうございました。

MESSAGE FROM TOKYO KID BROTHERS
(順番は、書いてくださった順です。以下、敬称略。クリックすると大きい画像を見ることができます。)
峯のぼる 北村易子 小野剛民
飯山弘章 三浦浩一 佐藤恵美
水谷あつし 柴田恭兵 斎藤正一
深水龍作 久松有希 日向勉
米村利彦 吉田倫貴 林邦應

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